『永遠の今を生きる』より

2019年8月7日

尻枝神父は典礼について次のように述べておられます。

 「私は公会議後の典礼改革のもたらした多くの利点を否定するつもりは毛頭ありません。それでもなお、次の点について真剣に問うてみる必要があると思います。

公会議後の典礼改革は、どの点まで真の意味での刷新であり、改善であったのか。
ある点で、それは典礼の低俗化であり、改悪ではなかったのか。
典礼文の邦訳や祭儀の単純化は、どの点まで、司牧的にまた霊的に賢明であり、有効であったのか。
典礼の合理化や平明化は、逆に典礼行為を通して現れる神の行為の神秘を感じさせなくなっていないか。

・・中略・・

『典礼憲章』は明らかにラテン典礼におけるラテン語ミサの重要性を延べ、信者たちがミサの共唱部分をラテン語で唱え、または歌えるように教育する必要を説いています。時々はグレゴリアン聖歌のラテン語ミサを挙げてもいいような気がします」(尻枝正行神父著『永遠の今を生きる−バチカンの小窓より』(海竜出版)より抜粋)