碑文谷教会・教会報より

2019年8月7日

 皆川達夫氏は「キリスト教と音楽」と題する小論の中で次のように述べておられます。

 「最近の日本のカトリック教会は第二バチカン公会議の精神にのっとって日本語による典礼聖歌を重視し、積極的に使用するように奨励しております。まことに適切なことで、それによってわたくしたち日本人信徒の祈りが、生きた歌として神に捧げられることになるでしょう。ただ気がかりなことは、日本語による典礼聖歌の確立を望むあまり、キリスト教会がほぼ二千年にわたって育成してきたもろもろの音楽の遺産をすべて惜しげもなく捨て去ろうとする行きすぎた傾向です。一部のカトリック教会では、グレゴリオ聖歌をはじめラテン語聖歌を一切禁止し排除しています。その理由として「ラテン語では一般の日本人に神のみ言葉が理解できない」とされていますが、それはあまりにも主知主義すぎるのではないでしょうか。信仰は言葉によって知的に理解される部分もありますが、同時に知を超えて把握される要素もあり、それなればこそ、音楽のはたす役割があるわけなのです」(碑文谷教会・教会報より)