V.メッソーリ氏との対話集『信仰について』より

2019年8月7日

 ラッツィンガー枢機卿は教会音楽を、第二バチカン公会議が「教会の宝」、すなわち全人類の宝と呼んで、最大の勤勉さで保存するだけではなく、盛んにするように奨励して賞賛を惜しみないものと定義した上で、次のように述べておられます。

 「多くの典礼学者たちは、その宝を”わずかの人にしかなじめないから”と言って切り捨て、公会議後の典礼の『どんなときにもみんなにわかりやすい』聖歌の名において教会音楽を敬遠した。だから特別のときに大聖堂などで例外として使用されても、教会音楽はもう存在しない。そのかわり『ありきたりの音楽』、やさしいメロディー、カンツォネッタ、はやり歌が取り入れられることになった。美を追放し、ただ実利だけを追求するところで示される恐るべき貧しさは、ますますはっきりしたものとなってきた。『みんなにわかりやすい』唯一のカテゴリーですまそうとすることが、本当に典礼をより分かりやすく、より開かれたものにしたのか、ただ貧相な典礼にしかならなかったのではないか」(ラッツィンガー枢機卿とジャーナリストV.メッソーリ氏との対話集『信仰について』より抜粋、ドン・ボスコ社出版)