さようなら岡田大司教

2021年11月4日

 故・ペトロ岡田武夫名誉大司教の葬儀映像が上記の動画でご覧になれます。神の誠実なしもべとして尊いご生涯を全うされた岡田大司教の永遠の福楽のために心を合わせてお祈り致しましょう。

 弊会は岡田大司教にご恩があります。

 20年近く前に「カトリック」という語が会の名称に含まれる組織は日本の司教団の承認を受けて、看板料として一年に一万円を納めなければならないという新しいルールが制定された時の話です。

 弊会の内部には「カトリック・アクションという言葉は信徒使徒職を意味するラテン語の英訳なのでカトリックとアクションという二つの語は切り離すことができない。通常のカトリック組織(例・カトリック医師会)とはカトリックという語の用い方が違う。よって承認を受ける必要はない」という強硬な意見もありましたが、これは飽くまでも学者の論理です。禍根を残さないように、弊会も司教団に承認の申請を行いました。

 司教団による審議の結果、弊会の活動内容に関しては異議なしとなりましたが、弊会の活動拠点は東京にあり、例会も荘厳司教ミサも東京で開催されていることから「全国的な活動とは認められない」との理由により、承認が得られませんでした。

 弊会は早急に会の名称を改めなければならない必要に迫られ、現役時代の岡田大司教に相談を持ちかけました。すると、岡田大司教は「司教団の決定を覆すことはできないが、東京教区の公認団体として私が認可を与えてもよい。この決定には私が責任を持つ」と弊会を守って下さいました。弊会が今でも従来の名称で活動を続けていられるのも岡田大司教のご厚情の賜物です。

 岡田大司教にはもう一つ感謝したいことがあります。

 ご存知のように、カトリック教会内にも様々な思想が渦巻いています。急進派と呼ばれる人々の中には、カトリックの伝統を忌み嫌い、弊会が主催するラテン語、グレゴリオ聖歌を用いた荘厳司教ミサを「時代に逆行する動き」、「教会の健全な発展を妨げるもの」とみなす勢力も存在します。

 このような思想に染まった人々から岡田大司教は問い詰められたことがありました。「大司教様、なぜカトリック・アクション同志会のような団体を支持されるのですか」と。

 その時の岡田大司教の発した言葉に感動で胸が熱くなります。

 「私はあなたがたの司教であると同時にカトリック・アクション同志会の方々の司教でもあるのだ」

 岡田大司教にはどちらかと言えばリベラルな聖職者という印象を抱いていました。しかし、実態は少し違いました。一般的にリベラルな聖職者と言えば、カトリックの要理に重きを置かず、(時にはそれに反する教えを唱導して)聖書を都合よく解釈して福音を宣教するイメージがないでしょうか。教皇や聖座の意向に不従順であったり、時にはそれを激しく批判することさえも厭わない。そのようなイメージがリベラルな聖職者にはつきものです。

 しかし、岡田大司教はそのような無頼漢ではありませんでした。岡田大司教の過去の言動の全てが正しかったとは思いませんが、基本的に司教職を十全に果たすことに全力投球をされた方でした。

 ベネディクト16世の時代に「信仰年」という年がありました。文字通り、カトリックの信仰を深めることがテーマの一年でした。岡田大司教はカトリック信仰の根本は要理にあると考え、弊会にあることを依頼されました。

「私は教皇に選ばれた者である以上、教皇に忠実な部下でなければならない。私は教皇の呼びかけに応えるために、自ら講師を務めて、毎月、カテキズム講座を開催したい。その集客と運営を貴会にお願いしたい」という依頼内容でした。「教皇の意向を地方教会に反映させるのが司教の任務だ」と岡田大司教は何度も強調し、その熱意は鬼気迫るものがありました。

 岡田大司教は「昨今の日本の教会は聖書講座だけ相変わらず盛んだが、それではプロテスタントと何も変わらない。カトリックがカトリックであるためには要理の普及こそが急務である」と述べられ、「是非とも私の願いを叶えてほしい」と懇願されました。

 岡田大司教のほとばしる情熱に胸を打たれた弊会は一年間、例会を休止して、マンスリー行事として、岡田大司教のカテキズム講座の運営に徹しました。集客、運営の他にも資料(レジュメ)の作成なども積極的にお手伝い致しました。弊会の人脈が生かされ、イグナチオ教会の信徒会館を会場にして開催された岡田大司教によるカテキズム講座は、毎回、超満員の活況を呈しました。このことに岡田大司教は大変満足され、「いろいろと有難う。皆さんの協力がなければこの講座は実現できなかった」と弊会の労をねぎらわれました。これは弊会と岡田大司教の間に生まれた友情を証しするエピソードです。

 高山右近が列福された時も岡田大司教は弊会を頼りにされました。東京でもイグナチオ教会で高山右近の列福記念ミサが捧げられることになりましたが、司式者がバチカンから来日したアンジェロ・アマート枢機卿(列聖省長官)であったことからこのミサの使用言語は日本語とラテン語のミックスとなりました。

 岡田大司教は「当日、会衆の大半がラテン語で応唱できなかったり、歌えなかったりする事態を危惧している。ラテン語慣れしている荘厳司教ミサの常連さんにこのミサへの参列を呼びかけてほしい。これで少しは格好がつくだろう」と仰いましたので、弊会はただちに岡田大司教の要請を受け入れ、荘厳司教ミサの常連者を多数動員しました。結果的にミサは醜態を曝け出すことなく大盛況のうちに無事に終わりました。

 岡田大司教は弊会に一方的に依頼をするだけの人ではありませんでした。白柳誠一枢機卿の帰天後、荘厳司教ミサの主司式ができる適任者(司教でありラテン語に通じた人)を欠いた弊会は途方に暮れていました。一回だけ故・溝部 脩名誉司教の助けを借りましたが、翌年以降は岡田大司教が引き受けて下さいました。

 岡田大司教が神学生であった頃、すでに日本の神学校ではラテン語が必修科目から外れていました。岡田大司教はラテン語を学ばずに司祭になった日本人聖職者の魁でした。岡田大司教は「ラテン語ミサには自信もなければ経験もない。是非、ご指導を願いたい」と正直に胸のうちを告白されました。高位聖職者としてのプライドを捨て、一からラテン語ミサの司式法を学ぼうとされる岡田大司教の謙虚な姿勢に我々は心を揺さぶられました。

 弊会のベテラン会員を家庭教師にして岡田大司教は猛特訓に励まれました。そして、なんとか重責を果たすことができました。次の年からは家庭教師なしで堂々とラテン語で司式されるようになりました。このようなエピソードにも岡田大司教の真面目で飾らない人柄を垣間見ることができます。なんの義務もないにもかかわらず、弊会のためにひと肌脱いで下さった岡田大司教には衷心より感謝の意を表する次第です。

 岡田大司教、さようなら。天国から日本の教会を暖かく見守って下さい。