沿革&理念

2019年8月25日

当会の沿革

 弊会は1951年に元外務事務次官の吉沢清次郎氏が発起人となり、時の東京教区長、土井辰雄大司教の承認を経て、田中耕太郎博士(最高裁長官)を初代会長として産声を上げました。

田中耕太郎博士

 当時としては極めて珍しい信徒団体であり、信徒使徒職の遂行を標榜した弊会は第二バチカン公会議の精神を先取りした進取の気性に富んだ種々の活動を展開致しました。(※信徒使徒職の詳細に関しては、1965年に発布された第二バチカン公会議16公文書の一つ「信徒使徒職に関する教令」参照)

 土井大司教との緊密な連携を保ちながら、弊会は司教団の諮問機関のような役割を演じ、移民問題、外交問題等、現代世界が抱える様々な問題に関し、聖職者に適切な意見を上申すべく、各界の信徒有識者を結集致しました。上記の活動に加え、出版布教の側面的援助等、会としての独自の動きも随時行ってまいりました。都文化財に指定された元和大殉教の顕彰碑(札の辻刑場跡に建てられ、後に高輪教会に移動)も1956年に弊会がイエズス会のロス司教と協力して建てたものであります。又、弊会は東京カテドラル建設の募金運動にも寄与した経緯があります。

 その後、時代の変遷とともに、弊会の歴史にも大きな曲がり角が訪れました。カトリック教会の躍進の源となった第二バチカン公会議は新しい教会のあり方という側面において幾多の新機軸を生み出すに至りましたが、崇高なる公会議の精神を狭小な視野でもって曲解してしまった一部の人々の所業により、教会内に様々な混乱と一致を乱す不協和音を不幸にも呼び込んでしまいました。

 特に典礼、神学の分野がその悪影響に蚕食され、現在の教会に暗い影を落としていることは否めません。弊会は第二バチカン公会議の精神の先取りによって誕生した長い歴史を誇る信徒団体であります。私どもが先頭に立って現代教会に光明を灯すべく何か大きな運動を起こすことができぬものかと思案した末、年に一度、ラテン語・グレゴリオ聖歌による「荘厳司教ミサ」を開催することを決議致しました。

 不言実行を旨とする弊会は、1991年以来、故白柳誠一枢機卿、歴代教皇大使閣下のご賛同及びご協力を賜り、「荘厳司教ミサ」を年欠かさず開催しております。(当会趣意書より)

当会の理念

 カトリックアクションとは?

 「アクション」とあるからには何かしら活動をする団体なのだろうと思っておられる方は多いと察します。しかし、カトリック信者の「活動」というだけならば、一人のキリスト者として社会的にそれなりの心掛けや清い生活をしていればよいということになります。それだけのことであれば、ことさら特定の団体に所属する必要はありません。

 では、カトリック・アクション同志会とは、何を目的に活動しようとしている団体なのでしょうか。

 西欧で18世紀以来の近代合理主義が広まり、知識層を先頭に労働者層を巻き込んだ教会離れが一挙に進みました。こうして神離れしてしまた世俗社会の布教はもはや聖職者の手の届くところではなくなり、世俗にある信徒が否応なくその役割を分担せざるを得なくなりました。

 そこで教皇ピオ11世は「カトリックアクション(信徒使徒職)」を提唱します。当初は「司教の使徒職への信徒の参与」と定義されていたので、信徒の活動団体は司教の指導下に置かれて、はじめて公式にカトリックアクションと呼ばれていました。

 一方で信徒神学の発展に伴い、カトリックアクションの定義に疑義が生じます。第二バチカン公会議では「参与 = 分与」──要するに司教からの命令または依頼── ではなく「協力」でなくてはならないという主張が通ります。それ故、カトリックアクションとは、信徒が司教の使徒職の一部を依頼によって分担することでもなければ、信徒使徒職を司教から授けられることでもなく、信徒の使徒職は、主キリストご自身から直に授けられる信徒固有の使徒職であると公会議は結論しました。

 日本では1949年に澤田昭夫、山下和夫、武者小路公秀の三氏によって『カトリックアクション研究委員会』が発足し、その後、発展して同志会になりました。その主旨は「聖職者のもとに、一般信徒がグループを作り、社会情勢を聖化する」ことでした。

 当時は、第二バチカン公会議前であったため、使徒職は聖職者の固有の務めであるという教会観が根強く残っていました。

 しかし、その後、カトリックアクションという語は年月を経るにつれ次第に聞かれなくなりました。信徒使徒職団体も高齢化の波を被って徐々に有名無実なものとなりつつあるのが現状と言えないでしょうか。

 さて、我々カトリック・アクション同志会員の間に於いては信徒使徒職という言葉は頻繁とは言えぬまでも折あらば口にしている名詞です。

 今、大半の信徒たちは、それについて現実的には何ら特別の関心、更にいえば負担、または責務を感じていないのではないでしょうか。公会議の決議事項によるカトリックアクションとは「一般信徒が布教活動をする」ということに尽きます。そうした信徒側の無関心な現状を真摯な聖職者や信徒はやや残念に感じていると思います。

 第二バチカン公会議の功罪についての論考はこの際、横に置くとして、いやしくもカトリックアクションを標榜している我々としては、信徒使徒職に正面から向き合い、改めて議論し、方法を検討し、実践してゆかねばなりません。

 未信者に教会への興味を抵抗なく抱いてもらうには、ただ近づいていって折伏を試みるのではなく、たとえば、その一手段としてカトリックの美しくも荘厳な典礼の、その一部にでも触れることで心に響く何かを感じてもらえるのではないかと思案して、我々は毎年、東京カテドラルにて荘厳司教ミサを開催しているのです。我々が発行している会報『ステラマリス』も啓蒙活動の一環です。

 カトリック・アクション同志会は今後とも効果的な宣教を可能ならしめる方策、手段を模索しながらも実践し続ける使命を負っているのです。